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「旭日双光章」受勲H23.7

山西 庸義(やまにし つねよし)
S11/8/29生まれ

立教大学では、Mr.長島エース杉浦黄金期応援団長。
且R西商店の代表取締役を経て、
1971年且R義地所を設立、現在代表取締役。
不動産業者として、県協会と共に業界の秩序を守り、
お客様の為に貢献した事を認められ、叙勲を受ける。
地元商工会でも、空港を活用したまちづくりを推進し、
旧小川町の為に尽力を尽くす。

<その他役職>
・(社)茨城県宅地建物取引業協会 石岡支部長
・(社)茨城県宅地建物取引業協会 副会長
・茨城県不動産政治連盟 幹事長
・旧小川町商工会 会長
・茨城県商工会連合会 元理事
・小川町農業委員会 元会長(4期在任)
 

 



山西 弘一郎
(やまにし こういちろう)
S43/1/30生まれ

獨協大学経済学部を卒業後、藤和那須リゾート葛ホ務、
現在、且R義地所取締役、且R西商店代表取締役。
百里飛行場民間共用化まちづくりの動きを、
「KURENAIプロジェクト」、そして実現へ!

「人が集うところに商いは起きる!」

<その他役職>
・小川町商工会青年部 第17代部長 
・(社)石岡青年会議所 第29代理事長
・百里バルーンクラブ 代表
・日本食農教育協会 事務局長


2004/08/01茨城新聞一面より
新たなる発見
地域財産を探る29百里飛行場

「KURENAIプロジェクト」

 


山西 きよ(享年87歳)元旧小川町長。
戦後初の女性町長であり、
百里基地闘争のシンボル的存在。

1998/9/12茨城新聞一面より
20世紀茨城の群像/
時代を彩った人たち


平和への思い、人一倍強く
「反対運動のシンボル的存在」母親の立場から立ち上がる

基地闘争にささげた半生  山西きよ
「百里基地 つくらむがために 犯したる
          罪の類の いかに多きを」


1988年12月6日、最高裁第3小法廷で開かれた百里基地訴訟上告審の口頭弁論で、上告人として意見陳述した百里基地反対派のリーダー、山西きよは自らの闘いの歴史を歌に託し、胸の内に秘めた積年の思いを司法の最高機関の場でぶつけた。山西79歳、58年の提訴から30年目の大舞台だった。
56年、防衛庁が東茨城郡小川町百里の開拓地に基地建設を計画した。この時から山西の基地反対の闘いが始まる。「母は弟を戦争で亡くしており、平和への思いは人一倍強かった。子供達を戦場に送ってはならない、平和のために闘うというのが口癖だった。」山西の長男、庸義(61)が闘う母の姿を振り返る。

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